開館時間:午前9時30分~午後5時(入場受付は午後4時30分まで)

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館長メッセージ

2021年9月の館長メッセージ

2021年9月1日

防災の日(9/1)と、円太郎バス

 

トヨタ産業技術記念館 館長の大洞和彦です。

9月1日は防災の日。今から98年前、1923年9月1日に関東大震災が発生したことや、暦の上で二百十日にあたるこの時期には台風が多いことから1960年に創設された日ですが、この関東大震災が日本における自動車普及の契機になったことはあまり知られていません。

東京都交通局によれば「関東大震災によって壊滅的な被害を受けた市電(路面電車)の代替としてアメリカ(フォード社)から800両を購入し、大正13年(1924年)1月18日から巣鴨~東京駅間と中渋谷~東京駅間で運行を開始。当局の前身である東京市電気局が乗合自動車事業を開始するきっかけとなった」(※1)車両が、東京市営乗合自動車、通称「円太郎バス」でした。「明治の落語家・橘屋圓太郎が当時走っていた乗合馬車の物まねをしたことで、東京の乗合馬車に円太郎馬車という呼び名が付くようになり、その馬車に似ていた」(※1)ことが名前の由来だそうです。貨物用のフォードTT型シャシーに、屋根と対向ベンチシートを架装し、11人乗りとしたワンマンカーでした。

トヨタの社史によれば「関東大震災の際、鉄道は壊滅的な被害を受け、輸送手段として自動車が大活躍した。大震災による火災から多くの人命を救出したのも自動車であり、震災の後始末から復興事業までトラックが全面的に使われた。贅沢品と見られていた自動車は実用品として、その公共性・利便性が広く理解されるようになった」(※2)とされています。上記の円太郎バスも当時大いに活躍したことは、想像に難くありません。その後、日本での自動車需要の急増を受け、1925年から日本フォードが横浜で、日本GMも1927年から大阪で組立生産を始めました。

トヨタの創業者・豊田喜一郎氏は大震災当日偶然東京にいましたが、九死に一生を得ました。自動車工業に将来性を感じた喜一郎氏は、その日からちょうど10年後の1933年9月1日に、豊田自動織機製作所内に自動車製作部門(後の自動車部)を設置し、本格的な自動車の試作に向けた準備に取りかかりました(※3)。これらのエピソードは、トヨタ産業技術記念館の自動車館に入って最初の展示室でご紹介しています。

※1東京都交通局「円太郎バスが国の重要文化財指定へ」 (2020年3月19日付報道発表資料)

※2トヨタ自動車「トヨタ自動車75年史」(2013年3月31日発行)p.32

※3 トヨタ自動車「豊田喜一郎」(2021年3月27日発行)p.168

               

円太郎バス(トヨタ博物館 五十嵐平達氏写真コレクション)

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