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突然の方針変更 -製造許可を受けるためにトラックを先行- |
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![]() 昭和10年6月、喜一郎は突然、G1型トラックの本格生産、年内の販売を口にし、関係者を驚かせた。「試作もやっと軌道にのったばかりなのに年内販売は無茶だ」「完全な試作もせずにいきなり大量生産に移れるはずがない」など反対意見は多くあったが、喜一郎は譲らなかった。その背景には、自動車工業確立の立法化が近づいているという情報があった。豊田自動織機製作所がその製造許可を得るためには、できるだけ早くトラックの量産という実績をつくることが必要だった。そのためには本格的な設備を揃えなければならない。その話を喜一郎から聞いた豊田紡織支配人の岡本藤次郎の仲介で、上海の豊田紡織廠の西川秋次が資金を工面し、二回目の増資を行った。 A1型試作車は3台限りで中止され、月産200台をめざすG1型トラックの量産準備が急ピッチで進められた。 |