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| 喜びと大きな不安 -展示発表会を行うが、品質面は間に合わず- |
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G1型トラックの製造はなんとか目処がついていたが、販売面については全く準備が整っていたなかった。フォードやGMはすでに日本全国に強力な販売網を張りめぐらせている。喜一郎は販売の経験豊かな人材を捜し求めていた。喜一郎から相談を受けた岡本は、日本GM大阪本社販売広告部長の神谷正太郎を紹介する。喜一郎はすぐに神谷と会い「あなたが来てくれるのなら販売についてはいっさい任せてもいい」といい切った。当惑した神谷だが、翌日、工場を訪れ、喜一郎の情熱、スケール、人格に心酔してしまった。10年10月、神谷は部下の花崎鹿之助、加藤誠之とともに入社し、販売組織の構築に着手した。昭和10年11月21、22日の両日、いよいよG1型トラックの展示発表会が行わた。東京・芝浦の会場には多くの人が会場を訪れ、大盛況であった。しかし、ここで展示された5台のG1型トラックは、刈谷の工場から東京に向かう道のりで故障が続出し、修理を繰り返しながらの走行だったため、東京に到着したのは、何とか発表会当日ぎりぎりだった。12月8日には、販売店第1号となった名古屋市の日の出モータースでの発表会を実施。ここでも工場から回送する途中に電柱にわずかに接触するだでリヤアクスルハウジングがポッキリと折れ、大急ぎで代わりの車を用意し、急場をしのいだ。発表会は、国産車がとうとう世に出たと喜ぶ人たちで大盛況だったが、関係者は車両の品質に自信が持てず、大きな不安に襲われていた。 |