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戦火で夢砕かれる -戦時型トラック以外は製造禁止- |
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![]() 昭和13年、商工省からトヨタおよび日産に対して、通達が発せられた。これは、乗用車については、トラックに流用できない資材や部品で製造するものは製造を中止すること、それも軍部の注文に応じて供給をすることを原則とし、民間への供給は差し控えるという内容のものだった。乗用車の製造は事実上、禁止されたのだった。そして、昭和16年12月の太平洋戦争勃発とともに自動車の販売も自由販売から配給統制へと移っていった。この年の1月に喜一郎は取締役社長に就任するが、もはや喜一郎が自由に腕をふるえる状況ではなかった。生産ラインにのるのは、資材を節約した戦時型のトラックばかりとなった。しかし、喜一郎は乗用車の試作・研究を続けた。軍に納入するということで、何台もの高級乗用車の試作を重ねた。まさに乗用車開発の夢を砕かれた喜一郎や技術者の執念であった。 しかし、戦局は悪化の一途をたどり、喜一郎たちは自分の夢に向かって打ち込める日が来るのを待つしかなかった。昭和17年5月、政府は重点生産を強化するため、企業整備令を公布し、わが国の産業体制は航空機や船舶など、戦力増強に必要なものに集中されていく。トヨタは、航空機用エンジンの製造を開始することになり、19年1月には軍需会社に指定された。 |