1937年9月に着工、1938年11月に竣工した挙母工場は、当時の金額で4,500万円を投じて建設され、敷地面積15万坪(約50万㎡)、建坪約6万坪(約20万㎡)の規模がありました。工場の各建屋は、自動車生産に必要な工程が相互に連携するように配置され、さらにジャスト・イン・タイムの思想実現のためにチェーンコンベア方式なども導入するなど、のちの自動車生産工場の手本となりました。
中央で眼鏡をかけている男性が豊田喜一郎、後方に立っている男性が販売の全権を任されました神谷正太郎氏です。