館長コラム
2025年8月の館長コラム
2025年8月1日
復興の狼煙としてのトラック
トヨタ産業技術記念館 館長の大洞和彦です。
今から80年前の1945年8月15日、日本は終戦を迎えました。トヨタ自動車の創業者・豊田喜一郎氏は、天皇陛下の玉音(ぎょくおん)放送を東京で家族とともに聞きながら、どうしたら従業員の生活を守ることができるか、日本の自動車産業をどのように復興させるかについて、思いを巡らせていたようです。
トヨタの拳母工場(現・本社工場)は、終戦直前の8月14日に空襲で被害を受けていたため、従業員が玉音放送を聞いたのは復旧工事の最中でした。赤井久義副社長(当時)は同月16日に工場に集まってきた幹部に対し「トラックは日本の復興にとって重要。トヨタには供給責任があり、そこから再出発しよう」と力強く所信を表明したそうです。
戦時型トラックの規格に合わせて1943年に生産を開始したKC型トラックは、鋼材不足に対応するため、従来のトラックに比較して3割程度(260~300㎏)の鋼材を節約した設計でしたが、これを標準規格に戻して、1945年8月17日には拳母工場での生産を再開しました。終戦から僅か2日後のことです。戦後復興の狼煙(のろし)ともいえるKC型トラックは、トヨタ博物館(愛知県長久手市)で常設展示されています。
(参考文献:トヨタ自動車「豊田喜一郎」2021年3月、p.328-329)
トヨタKC型トラック(1945年、画像提供:トヨタ博物館)
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