「工場の配置も“作業の流”に従っている」

解説文のようなタイトルのついた図が自動車館の2階に
展示されています。
その横には工場のレイアウト図があります。
拳母工場、後のトヨタ自動車本社工場、完成時のレイアウト図です。
各工程は相互に連続するように配置され、
豊田喜一郎が提唱した「ジャスト・イン・タイム」の考え方による
流れ生産の実現を目指し各種コンベアが導入されました。

1935年に用地を取得し、1938年8月に建築を完了。
刈谷工場から機械を移設するのに1ヶ月を要しました。
この拳母工場への移設は豊田英二が主導。当時の写真が
エントランスの記念室に掲示されています。

拳母の組立工程には全長100mにおよぶチェーンコンベアラインが
2ライン設置されました。月産2000台、当時日本最大規模のラインです。
流れ作業によるAA型乗用車組立の様子は、
自動車館でご覧いただけます。
このチェーンベルトによる流れ作業の源流は、
繊維機械館でご覧いただけます。G型自動織機の組立ラインです。

1890年11月、豊田佐吉最初の発明、木製人力織機の特許出願。
1896年11月、日本で最初の動力織機完成。
1925年11月、G型自動織機 製造第1号機完成。
1934年11月、板金手たたきによるA1型試作乗用車のボデー試作開始。
1935年11月、東京自動車ホテル芝浦ガレージでG1型トラック発表。

そして、1938年11月3日、
従業員4848名で拳母工場が稼働を開始しました。

「自動車をもっと完全なもの、便利なもの、経済的なものに、改良する事は
吾々の使命であります。(中略)改良進歩が出来ない様な工場組織では
自動車事業をやる価値がない。そこで拳母に移転し全く新しい設備と、
新しい組織でやる事にしたのです-豊田喜一郎」

繊維からクルマへ。
歴史が動いた11月の出来事を辿るツアーはいかがでしょうか?
拳母工場建築時の本物の鉄柱が当館に移築・展示されています。
探してみてください。