釣れぬ所へ連れて行け~愛知・蒲郡にて~

トヨタ産業技術記念館 館長の大洞和彦です。

「自動車のやり初め頃、馬力が出ず、悩んで蒲郡の辺で釣りをされたが、魚が釣れるとおこられた。おれは釣るのではない、考えているのだ、釣れると考えが散るから釣れぬ所へ連れて行けといわれた」

これは、1952年3月にトヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎氏が亡くなった後、トヨタ創業期を支えた方々が集まった座談会で、技術者として長く喜一郎氏を補佐した白井武明氏(後に日本電装社長)が回想した一節です(※1)。

※1『座談会~前社長をしのぶ~』「トヨタ新聞」創立15周年記念号付録(1952年11月12日発行)p.2

1930年代半ば、ふたりが釣りに行った先がなぜ蒲郡だったのか、今となっては知る由もありませんが、1940年代には四輪駆動水陸両用車の試運転を西浦で実施する(※2)など、喜一郎氏と蒲郡とのご縁はその後も続きました。

近年では学校法人海陽学園設立へのご協力(2006年)、トヨタグループの研修施設設立(2016年)など、人材育成の拠点として、トヨタグループと蒲郡のご縁がより深まっています。

※2「豊田喜一郎」トヨタ自動車㈱(2021年3月27日発行)p.309

思い出すのは、以前トヨタボランティアセンターの責任者を務めていた頃、海に関わるボランティア活動を探して辿り着いたのも蒲郡でした。当時蒲郡では、障がいのある方にも海に出る喜びを感じていただくためのヨットレースが、市民団体を中心に10年以上に渡って行われていて、そこにトヨタ自動車の従業員が初めてボランティア参加させていただきました。2010年のことです。

以降、2017年に第21回大会で休止するまで、私も毎年7月の2日間、蒲郡で活動に参加しました。市民まちづくりセンターを中心に、ヨットのオーナー、市内の高校や看護学校の学生、多くの市民や市職員などが協働する素晴らしい活動で、いつか再開されることを願っています。その時には、冒頭の喜一郎氏のエピソードを参加者の皆さんにもご紹介できたらいいな、と考えています。

        

          ひと人ヒトヨット大会2デイズ(2017年7月、愛知県蒲郡市)