TOKYO2020に想う~コロナ禍での分断と希望~

トヨタ産業技術記念館 館長の大洞和彦です。日本での開催が2回目となる東京オリンピックが7月23日に開幕しました。東京パラリンピックも8月24日に開幕し、近代五輪史上初めて開催が1年延期されたTOKYO2020は、9月5日のパラリンピック閉会式を以って閉幕する予定です。

東京で初めてオリンピック・パラリンピックが開催された1964年(昭和39年)は、完成乗用車の輸入自由化を翌年に控え、自動車メーカー各社は将来の資本自由化を見据えて、量産体制の確立など企業体質の強化に努めていた時期でした。企業間競争は激化し、業界再編成の機運が盛り上がった結果、プリンス自動車工業(スカイラインなど生産)との合併話がトヨタに持ち込まれたのも1964年でした(※1)。のちにトヨタ産業技術記念館の設立に主導的な役割を果たし、同館の初代理事長に就いた豊田英二氏(元トヨタ自動車会長)は「東京オリンピックがあった39年(1964年)に石橋正二郎さん(元ブリヂストン会長)が持ち込んできた。(中略)当時再編成といえば合併があたり前という空気だった」(※2)と当時を回想しています。トヨタはこの話をお断りし、プリンスは2年後に日産自動車と合併しました。トヨタはその後、日野自動車、ダイハツ工業と業務提携し、現在に至ります。

※1トヨタ自動車㈱「トヨタ自動車75年史」 (2013年3月31日発行)p.218

※2豊田英二「決断 私の履歴書」日本経済新聞社(1985年9月12日発行)p.189

トヨタとオリンピックとの関係で思い出深いのは1997年の冬季長野オリンピックです。当時私はトヨタの報道担当で、初代プリウスの発表を起点とした環境分野への企業としての取り組みを、記者の皆さんにご理解いただく業務を担当していました。同じ社内の宣伝担当が1年掛かりで取り組んでいた企業広告キャンペーン「トヨタ・エコプロジェクト」が、大会機運の高まりと相まって大きな話題になったことを思い出します。当時のオリンピックには特別な高揚感がありました。

新型コロナウイルス感染症のパンデミックに翻弄されたTOKYO2020は、開催の是非や観客の有無、責任問題などで世論が分かれ、まさに国内が分断された感があります。その意味で理想の大会とは程遠いでしょう。一方でアスリートが競う場としての輝きは失われたわけではなく、厳しい社会情勢だからこそ、アスリートの姿に希望を感じることができると思うのです。競泳女子の池江璃花子選手の復活劇に涙した方も多いと思いますが、全競技の全選手にストーリーがある筈です。「厳しさの中で応援できる喜びと多様な応援方法」こそが、TOKYO2020のレガシーなのだと思います。

 

 トヨタ会館での1年前イベント(2019年8月、愛知県豊田市)