時代小説の中の、実在する医師たち

 

トヨタ産業技術記念館 館長の大洞和彦です。

私は作家の佐伯泰英さんが描く時代小説の世界が好きで、さまざまなシリーズを平行して読んできました。「鎌倉河岸捕物控」「照降町四季」「夏目影二郎始末旅」「吉原裏同心」など、完結したものと継続中のものが混在していますが、最も愛読しているのは「居眠り磐音」シリーズ(双葉文庫/文春文庫)です。2002年に第1巻「陽炎ノ辻」が発行され、2007年から断続的にNHKでテレビドラマ化(主演は山本耕史さん)、2019年には松坂桃李さん主演で映画化されたので、ご存じの方も多いと思います。

お話は小説ですので、フィクションです。主人公の坂崎磐音(さかざき いわね)は、江戸中期、九州の豊後関前藩を脱藩して江戸で浪人暮らしをしている剣術家ですが、人物も旧藩も架空の設定です。このお話が20年近く、50巻以上に渡って続いているのは、フィクションと実際にあった出来事とを巧みに絡ませながら展開しているからで、ここに作者の類い稀な力量を感じます。

このお話には、重要な役回りを担う二人の実在の医師が登場します。ひとりが現在の福井県にあたる若狭国小浜藩の藩医・中川淳庵(なかがわ じゅんあん)、もうひとりは将軍家の御典医・桂川国瑞(かつらがわ くにあきら)。お話では、中川が長崎に旅する途中、凶暴な異形僧たちに襲われたところを磐音が助け(※1)、その後もふたりは長く認め合い、支え合うことになります。

中川も桂川も蘭方医で、中川を襲ったのは蘭方医学(主に長崎・出島のオランダ人医師から伝えられた西洋医学)を嫌う一派でした。実在の世界では、ふたりは杉田玄白らとともに「ターヘル・アナトミア(解体新書)」の日本語訳に取り組み、蘭方医学の発展とそれを用いた治療に力を尽くします。

本日10月2日から、当館にとって2年ぶりの企画展がスタートします。テーマは「江戸期の医療とモノづくり」。現代医療の源流と言える江戸時代は、軋轢はあったものの、東洋医学と西洋医学がお互いを認め合う、時代の転換期となりました。その原動力となったものは、医師や技師たちの「何としても、人のいのちを救いたい」という強い思いだったのです。この思いは現在、感染症と戦う医療従事者の方々にも脈々と受け継がれているのだと感じます。

是非、この企画展を見にトヨタ産業技術記念館にお越しください。

※1佐伯泰英「居眠り磐音江戸双紙④雪華ノ里」双葉文庫 (2003年2月20日発行)