「クラウン」70周年に寄せて

トヨタ産業技術記念館 館長の大洞和彦です。

トヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎氏は「日本人の頭と腕による国産自動車の実現」という大きな夢を掲げ、その実現に向けて仲間たちとともに懸命に努力を続けました。志半ばで喜一郎氏が急逝した1952年に開発がスタートし、3年後の1955年1月1日に発表されたのが初代クラウン(RS型)でした。この日本初の本格的国産乗用車の誕生から、今年でちょうど70周年を迎えました。

このクラウンの開発責任者である初代主査に抜擢されたのが、中村健也氏。車両設計と生産技術の双方に通じているエンジニアでした。喜一郎氏の長男である豊田章一郎氏は中村氏について「新しいものに飛び込んでいくチャレンジ精神が旺盛で、意思が固い。『何事も安全第一でやっていては、技術の向上はないし、他社よりも先に行くことはできない』という技術屋魂をよく聞かされた」と語っています(豊田章一郎「未来を信じ一歩ずつ」日本経済新聞出版社、2015年、p.69)。

現在、日本国内で販売されているクラウンは16代目にあたります。この70年の間、名もなき多くのエンジニアたちが、喜一郎氏の「夢」や中村氏の「技術者魂」を受け継ぎ、歴代クラウンの開発と生産に取り組んできました。現在当館では、初代クラウン(RS型、RSD型)の展示や、創業期から現在までの自動車の「走る・曲がる・止まる」等の技術開発の変遷を展示した企画展も開催中(3月2日まで)です。是非ご来館ください。

初代クラウン(RS型、1955)